このシリーズは私の外務省勤務を通じて得られた知識と経験に基づき、出来る限り正確な情報をお伝えすべく努力して書いたものですが、誤りがありましたらご容赦ください。言うまでもなく外務省の立場を述べたものではなく、あくまで個人的な見解です。
リンガハウス理事長
岩谷 滋雄
(東京外国語大学オープンアカデミー教養講座講師、元駐オーストリア大使、元日中韓三国協力事務局・事務局長)
アジアの言語・文化・社会編
イスラム教の影響
東南アジアというのは中国の文化とインドの文化がぶつかり合ったところと言えるだろう。インドネシアにおいて今はイスラム教徒が9割以上を占めているが、バリのように未だにヒンズー教が支配的なところもあり、中部ジャワには仏教遺跡も残っている。このような文化のぶつかり合いから東南アジア独特の文化が創造され、多様性も生まれたのであろう。
しかし、何と言ってもイスラム教の力は支配的であり、近年その力を強めている兆候が見られる。私が勤務した1980年代のインドネシアは戒律のあまり厳しくない穏健なイスラム教が一般的であった。イスラム国らしい雰囲気は毎朝モスクの屋根に取り付けられた拡声器からコーランを読む声が大音響で流れてくることに感じられる程度で、それ以外イスラム教的な雰囲気を感じさせるものはあまりなかった。女性もヒジャブ(頭を隠すスカーフ)を着用している人はほとんど見かけず、さすがにノースリーブの人はいなかったが半袖で二の腕を出している人は多かった。ところが、最近は女性も肌を全て覆い、ヒジャブを着用し、マレーシアと同じような雰囲気になってきたようだ。この変化の原因は私にはまだよく分からない。ただ、1980年当時でもさすがに飲酒する人はほとんどおらず、食事に招かれても飲み物としては水かコーラのようなソフトドリンクしか出なかった。
ラマダン(断食月)には断食(日の出から日の入りまで飲食を絶つ)を実行している人が多かった。レストランも昼間はホテル等を除き全て閉まってしまう。昼間食べたい人は長いカーテンで覆われた屋台の中でこっそり食べていたようである。
当時、ほとんどの日本人駐在員は郊外の一軒家に暮らし、運転手などの使用人を雇用していた。私はちょうど日の入りの時間帯に運転手に車を運転させて帰宅することが多かった。断食月中私の運転手は、たとえ運転中であっても断食の時間が終わったというアナウンスがラジオから流れるや否や片手運転になってペットボトルの水を飲み始めるのが常であった。危ないとは思ったがかわいそうで飲むなとは言えなかった。
日の入り後食事の時間になるのだが、空っぽの胃に急に食べ物が入るのは消化によくないとのことで、まずはみつ豆のような甘いスープを飲む習慣があった。私の2歳の息子はこの飲み物が大好きで、使用人から分けてもらっていた。飲み終わるとすぐ「ミンタ、ラギ(もっと頂戴)」と使用人から習ったインドネシア語を言いながら使用人部屋に駆けて行く様子が今も目に浮かぶ。
朝は暗いうちに起きて、明るくなる前に朝食を済ませなければならない。睡眠不足になるし、まとめ食いをするのでかえって太ってしまう人もいる。昼間は飲み物を飲むことさえ許されない(敬虔なムスリムは唾も飲み込まないと言う)ので暑い熱帯では大変である。当然仕事の能率も落ちる。ムスリム達がこのような厳しい戒律を多大の苦痛を伴いつつ守っているのを見て、イスラム教が彼らが生きていく上でかけがえのない支えになっていることを実感したものである。