あなたも外交官「外国人との異文化交流の秘訣 アジアの言語・文化・社会編」II. インドネシアの文化・社会-2. インドネシアは古き良き日本

このシリーズは私の外務省勤務を通じて得られた知識と経験に基づき、出来る限り正確な情報をお伝えすべく努力して書いたものですが、誤りがありましたらご容赦ください。言うまでもなく外務省の立場を述べたものではなく、あくまで個人的な見解です。

リンガハウス理事長
岩谷  滋雄

(東京外国語大学オープンアカデミー教養講座講師、元駐オーストリア大使、元日中韓三国協力事務局・事務局長)

アジアの言語・文化・社会編

II. インドネシアの文化・社会

II-2. インドネシアは古き良き日本

私は1978年から80年まで外務省本省でインドネシアおよびビルマ(今のミャンマー)との関係を担当したのを皮切りに、上述の通りインドネシアに駐在し、さらにその後東京でインドネシアに対する経済協力の仕事にも従事した。そのほか、出張や観光でASEAN10カ国のうちラオス・カンボジアを除く8つの国に行ったことがある。

私が住んでいた頃のインドネシアは熱帯らしいとてものんびりした雰囲気であった。田舎の田園風景は日本の田舎と同じである。人々の生活はゆったりしていて、貧乏な人でも家族や友人同士が支えあって暮らし、貧乏も苦にならないように見えた。未舗装の道路を車がホコリを立てながら走っていたり、オートバイに親子4人が相乗りしていたり、自宅前では物売りの声が聞こえたり、私が子供の頃の日本での生活と似ていてとても懐かしい感じがした。子供を可愛がるやさしい人たちで、我が家の使用人も我が家の子供2人をよく可愛がってくれた。その頃うちの子供は4歳と1歳であったから、とても良いタイミングでインドネシア勤務の機会を得たと言えよう。

その当時はスハルト政権の下で軍事独裁ではあったが社会も安定していた。その後民主化の過程でインドネシアの政情は不安定になり、経済的にも困難な時期を経たので人々の心もすっかりすさんでしまったのではないかと心配したが、最近青年協力隊員としてインドネシアに行った人の言によると「人が面白い、いつも誰かと話し、冗談を言い合い、何かを食べている」とのことで、あまり変わっていないと思った。私の知り合いで半年ほどスラバヤの近くで日本語を教えるインドネシア人高校教師のアシスタント役を務めてきた人がいるが、田舎のため住環境などは必ずしも良くなかったが、先生たちを始め周りの人達が親切で、すっかりインドネシアファンになって戻ってこられた。日本人にとってのインドネシアの心地よさは今も変わっていないようである。

難しい民主化の過程を経て、あの大国が今も(東チモールを除き)分裂することなく維持され、安定しつつあるのを見るのは嬉しい限りである。中国・インドに次ぐアジアの大国として力を持つようになればアジアの安全保障にも良い影響をもたらすことが期待される。