20歳大学生が考える「言語とは何か」【第1回 受験英語が全てではない】

 

第1回

受験英語が全てではない

東京外国語大学 言語文化学部
小原

 

こんにちは。東京外国語大学言語文化学部2年、リンガハウス講師の小原です。
さて、今回から全部で5回に渡り、「言語とは何か」という問いに対して、大学で言語を学んでいる今の私なりの考えをご紹介していければいいな、と思っています。まだまだ未熟者の20歳ですが、有り難いことに様々なことを経験していく中で、高校生の頃とは大きく考え方が変わりました。普段の英語学習に悩む中高生の皆さんや、様々な形で言語に向き合おうとしている皆さんに読んでいただけると幸いです。

入学直前、大学のモニュメント前にて

「なぜ学校で英語を勉強するの? 」

 私は、中学・高校時代、「英語が大嫌い」という友人をたくさん見てきました。そういう人たちは大抵、「どうして学校で英語を勉強するの?」「英語なんか学んで、何の役に立つの?」と、英語学習の意義についての疑問を多く口にしていました。それに対するひとつの答えは、コミュニケーションの能力を身につけるためです。実際、平成29年告示中学校学習指導要領(文部科学省, 2017, pp.145)を見ても、外国語科の目標は、「簡単な情報や考えなどを理解したり表現したり伝え合ったりするコミュニケーションを図る資質・能力」を育成することである、と書いてあります。
 そうは言っても、「私はずっと日本で生きていくから、日本語が話せれば英語が話せる必要ないじゃん」と、外国語でのコミュニケーション能力そのものの必要性を疑ってしまいます。確かに、必要性は全ての人にあるわけではないのかもしれません。
 しかし、人間は人生に必要なことだけをしているのでしょうか。では、今自分がやっているゲームは自分の人生にとって必要なのか、どうしてやっているのか。特に意味なんてないですよね。強いて言えば楽しいからやっている。 でも実はそれが核心であるような気がします。そう、楽しいから英語の勉強をするのです。そこに特段意味や目的を見出さなくても良いと私は思います。

どうすれば楽しくなるか

 楽しくないから困っているのだよ、という人も多いかもしれません。単語帳を使って単語をひたすら覚える、文法事項をたたき込まれて練習問題をたくさん解く、教科書に載っている好きでもない分野の内容の英文を読む、といった地味で長い道のりに飽き飽きしてしまったという人もいると思います。
 それは、ゴールが受験になってしまっているからではないでしょうか。ちょっと意地悪な和訳問題や英作文の問題が解けるようになる、要領よく要約問題やリスニングができるようになる。せいぜいそれらが受験英語のゴールです。
ですから、何とかその先にあるものを見つけたいものです。「動機づけ」が何より言語学習を後押しし、楽しませてくれるものになります。格好いい発音で洋楽が歌えるようになりたい、かわいいイギリス人の彼女が欲しい、シェイクスピアが読めるようになりたい、など何でもアリだと思います。何か具体的な動機が見つかると、つらいと思っていた言語学習も、少しは楽しくなり、前向きに取り組めるに違いありません。

再認の喜び

 私の場合は、世界各国のたくさんの人と直接英語で話す機会を得たことが、楽しいと思えるようになったきっかけでした。今まで家や学校という狭い世界でやっていた英語の勉強は、このためにあったのだと、感動したのを覚えています。全ての学問に通じる考え方だと思いますが、「再認の喜び」です。例えば、観光で歴史上の遺物を見に行ったとき、勿論何の知識もなくそれを見ただけでも感動することはあると思いますが、歴史の授業で勉強し資料集で見て、いかにそれがすごいものであるかを知った状態で見た時の感動は、何にも代えがたいものがあると思います。これこそが、人が学校で勉強する理由なのだと思います。
 少し話が逸れましたが、英語を話す実践の機会を得て私は感動しました。高校1年生の時です。それと同時に、自分が喋っている英語を聞き、全然うまく話せていないことにも気づきました。第二言語習得研究という学問分野では、「アウトプット仮説」と呼ばれるものです。この「気づき」が、さらなる動機づけにつながっていきました。

 

 

続く。第2回のタイトルは、「世界共通語としての英語」です。 私自身の英語学習の動機に関わる根幹の話になります。