第2章
留年後~二度目の留年
2016年、留年、二度目の高校2年生。正直、留年という言葉に絶望しないはずがない。ずっしりと重く響くその言葉を胸に、母の車に乗せてもらい始業式へと向かった。この日のみのことではなかったが、まるで重力が学校の方向に働いていて、自分が車と一緒に学校に向かって落ちていくように感じた。学校に着く直前になり、すぐそこに大人数の学生が集まっていることを想像するとあまりに恐ろしくなり、号泣しながら過呼吸に陥ってしまった。始業式へは行かず、止むを得ず引き返してもらった。その後もしばらく学校に行くことはできなかった。
6月頃、合唱部の顧問から自宅から電話があった。部活だけでも来てはどうかと誘われ、ようやく久しぶりに学校に行くことができた。他の学生の目が怖かったが、合唱部の部員とは会うことができた私は、部員に囲って守ってもらいながら放課後登校をした。
その後、部活だけの放課後登校を経て、保健室および個室登校ができるようになっていった。担任は私の症状について理解を示してくれて、時間があるときには昼休みに私の個室まで来て一緒に昼食を取ってくれた。そして、担任はクラスの数人を呼んで一緒に昼食を取ることを提案してくれ、私の調子が良かったときは数人呼んでもらって一緒に話をしながら昼食を取った。登校時不安な時は担任、副担任、部活の顧問、副顧問、保健室の先生等に助けてもらったこともあった。
一方で通常のカウンセリングに加え、人と話すことに慣れるためのグループカウンセリングを受けたり、社交不安障害や鬱などについての本を読んで勉強したりもした。学校の勉強には
や嫌悪感が植え付けられ、なかなか手につかなかったが…。
学生でいっぱいの教室に入るという試みは、クラス最後の日に成功したが、結局その年度はそのたった1日しか教室に入れなかった。また進級できなかった。
このストーリーは、第1章から最終章までの8回と、補足文の全9回で掲載いたします。