不登校から東京外国語大学合格まで 〜生きづらさを抱えたあなたへ〜『第1章』

不登校から東京外国語大学合格まで

〜生きづらさを抱えたあなたへ〜

谷山 薫
(たにやまかおる)

これはHSP(Highly Sensitive Person)と呼ばれる、周りの環境にとても敏感な谷山薫さんが、二度の留年を経て九州のとある県立高校から東京外国語大学・言語文化学部チェコ語学科に合格したライフストーリーです。

第1章
高校入学~留年

 2014年春、公立高校では県内トップの九州のとある高等学校に入学。周囲からすれば喜ばしいことであっただろうが、内心県内トップの高校に合格した喜びよりも新しい環境に対する不安の方がずっと大きかった。もともとあまり頑張って勉強するようなタイプではなかったので、宿題がそこまで多くなく、自分のペースで勉強できると言われていたこの高校を志望したのだったが、いきなり春休みの宿題がたくさん出されたところから大きな不安を感じていた。後から知ったが、親世代の言っていたこの高校の状況は変わってしまっていた。

 2015年、高校2年生。課題の多さ、人間関係、クラスの雰囲気、通学の際に乗る電車、気候など、様々なことが精神的負担になった。特に気にしていたのはクラスメイトとの何とも言い難い違和感であった。友達の冗談を理解できなくて溝を作ってしまったり、多くの人が興味を示すことに対して理解し兼ねたりした。そこでネットでそれらの違和感について検索したところ、アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)というワードがヒットした。自分はアスペルガー症候群なのではないかと疑い、自ら心療内科の受診を希望した。しかし医師と話をしたところ、アスペルガー症候群ではなく、むしろハーフであることから周囲との間に違和感を覚えるのではないかと言われた。

 梅雨に入り雨の日が多くなったのを機に、だんだんベッドから起き上がれなくなり、学校を休む日が増えてきた。ある日母に車で学校まで送ってもらおうとしたが学校に行くのが辛すぎて号泣してしまった。朝起きられない症状や頻繁に氷を食べてしまうという症状(氷食症)から、貧血を疑い内科を受診。軽い貧血ではあり、鉄剤を処方してもらったが、症状を医師に伝えたところ、起立性調節障害なのではないかと疑われた。そこで起立性調節障害の専門医の診療を受けたところ、障害の定義から外れていた。その医師からは心療内科を受診するように勧められた。

 そして、保健室の先生から紹介してもらった心療内科を受診したところ、社会不安障害と診断された。合併症として鬱、広場恐怖症も患い、一日中ほとんど家で動けないこともあったり、電車に乗ることや大型店に入ることができなくなったり、パニックで過呼吸になり痙攣することもあった。

 そんな中でも少しでも状況を改善しようともがいていた。心療内科の医師の勧めで8月に高校卒業程度認定試験(高認)を受け、合格した。当時はとても大学受験できるほど気力も体力も無かったが、高認に合格しておけば、いざ状態が回復したときに、高校を卒業していなくても大学入試を受ける資格となるためであった。ちなみに高認の試験は当時調子が悪かった私でも(進学校の)高校2年半ばまでの勉強で合格できるもので、そこまで難しいものではなかった。また、教室に入れなくなったときでも私が所属していた合唱部にだけでも顔を出したり、保健室登校をしたりしていた。

 だが結局、高校では期末試験などの成績を出すために重要な試験を受けきることができず、進級できなくなった。担任と母とで話し合い、通信制高校に通う選択肢も提案されたが、私はこの高校を卒業したいと思い、留年することを決意した。