語学習得のための体験的留学術―その1

外交官の卵、あこがれのアメリカへ
そのとき私は興奮の極致にあった。1974年6月、羽田空港から生まれて初めて海外へ向けて飛び立ったのだ。それも、「名犬ラッシー」や「パパは何でも知っている」など米国直輸入のテレビ番組で垣間見た、あのあこがれのアメリカに自分の身を置こうとしている。アンカレッジ経由計16時間のフライトの後飛行機が着陸態勢に入ると、窓からマンハッタンの摩天楼が見え、車が道路の右側を走っている。ここはたしかにアメリカなのだ。

ニューヨークから小型機に乗り換えてワシントンへ。空港からホテルへ向かう車の窓からは、大きく枝を広げた並木の間に風格のある建物が並んでいるのが見える。道路に目をやると、どっしりした大型の乗用車がゆったりと先を急がぬ風情で走っている。翌日口座開設に行った銀行の建物が何と立派で、重々しく見えたことか。

“日本語漬け”のサマースクール期間

△ミシガン大学のキャンパスで

語学習得という目的で留学をする場合、とにかく行けば何とかなるということではないここれから2年間の留学生活が始まる。その導入として、まずミシガン大学で行われるサマースクールの英語コースに参加した。このときは外務省の同期生4人と一緒であり、そのうえ企業派遣や個人参加の日本人もたくさんいて、授業以外は日本語でしゃべっているという状況だった。

夜は日本人仲間とピザ屋に行って、巨大なピザと巨大なコップに注がれたビールやコーラを楽しむ。夫婦で来ている日本人のお宅に招かれ、日本人だけのパーティを楽しんだりもした。その人から車を安く譲ってもらい、日本人仲間とナイヤガラやケベックを旅行した。

2、3泊のホームステイもあったが、もの静かな牧師さんのお宅だったので、英語での会話はほとんど無いままに終わってしまった。

英語を聞いたりしゃべったりするのは毎日の授業中の数時間だけという状態で、これなら日本で英会話学校に通っているのとさして変わらない。

△生まれて初めて買った車、マーキュリー・クーガー。ご覧のようにヘッドライトに傷があったので安く
買えたが、この傷のために後で苦労することとなる。

この1か月半のサマースクールは、2年間の留学生活の中でも最もハイな気分で楽しく過ごした期間だった。とはいえ、このような過ごし方は「英語習得」という留学の目的に照らして見ると明らかに失敗であった。

見聞を広めるのも意義がある、と自己正当化していたが、やはり「日本人と付き合い、楽しく遊びたい」という誘惑に負けた1か月半であったと言わざるを得ない。

語学留学を成功させるには?

語学習得という目的で留学をする場合、とにかく行けば何とかなるということではないとは皆さん分かっておられると思う。しかし、具体的にどういう条件や環境を整えれば良いのか的確に判断するのも、実際にその条件や環境を整えるのも、そう容易なことではない。

このシリーズでは私の実際の体験に基づき、効果の上がる留学をするためには何が大事かを皆さんにお伝えできればと思う。

もちろん留学だけが外国語を学ぶ唯一の方法ではなく、最近はあたかも留学をしているかのような環境を備えた施設もできている。しかし、言葉はその国の文化の産物であり、その国の文化全体を知る中で言葉も覚える、というのが最も正攻法の語学習得術であるから、留学するに越したことはないのである。

このシリーズが、いずれ留学をしたいと考えている皆さんが周到な準備を整える上での一助となれば幸いである。