20歳大学生が考える「言語とは何か」【第2回 世界共通語としての英語】

 

第2回

世界共通語としての英語

東京外国語大学 言語文化学部
小原

 

世界中の仲間 

 第1回のブログの中で、英語が楽しいと思えたきっかけとして、特に説明もなく「世界各国のたくさんの人と直接英語で話す機会」と書いたのを覚えているでしょうか。実はそれは、「スカウトジャンボリー」と呼ばれる、アメリカで開催されたボーイスカウトの世界大会でした。高校生年代を対象に、世界150以上の国と地域から40,000人が集まって、キャンプ生活を送りながら交流する、4年に1度のお祭りです。ボーイスカウトの何がすごいかと言うと、同じ志を持って世界各地で活動する同年代の仲間が集まるため、すぐに友達になれるということです。皆母語はそれぞれですが、会場の中での共通語は英語で、会話はすべて英語で行われました。自分が英語を使って次々に色々な人たちと交流していることに高揚感を感じたのを覚えています。英語さえ出来れば世界中の人と仲良くなれるのだから、もっと英語を頑張らなくては、と高校生の当時の私は英語学習に火が付きました。 

2019年、世界ジャンボリーで交流した仲間と。一番左が小原

本当に英語が全てか 

 それから4年が経ち、今度は参加者ではなく大会をサポートする立場として「スカウトジャンボリー」で奉仕をしてきました。その中で、気づいたことがありました。それは、「英語も万能ではない」ということです。自分の英語力は飛躍的に向上し、かなり深い談義が出来るまでに成長していました。今思えば、あれほど英語の力に感動していた4年前の自分は、簡単な自己紹介や記念品の交換に必要な最低限の会話を何とかやっていた程度に過ぎませんでした。そう、4年前の自分と同じレベルの人たちが周りにたくさんいたのです。英語がうまく伝わっていなくてミスコミュニケーションが起きている現場も多々あるし、独特のアクセントでとても聞き取りづらい英語を話す人もたくさんいるし、中には全く英語が話せない人もいます。皆それぞれ母語があり、大抵は母語が思考言語であって、アイデンティティのひとつでもあります。英語を母語とする人はせいぜい全人口の5%ほどしかいないと言われています。国連においても、英語・フランス語・中国語・ロシア語・スペイン語・アラビア語の6か国語が公用語とされており、特に英語だけが特別視されることはないのです。 

我々日本人が目指すべき英語とは何か 

 そうはいっても日本の学校教育で「外国語」といえば専ら英語であるし、結局英語を勉強しなくてはならないことから逃げ出せないような気もします。でも、必ずしも「ネイティブのように」英語が出来るようになる必要はないと、私は思っています。 

 ここで少しアカデミックな話をします。1980年代に、Kachruという人が、“World Englishes”(世界の英語変種)の考え方を示し、その中で同心円モデルを使って英語の種類を区分しました。(Kachru, 1985) 一番内側の円が “Inner Circle” (内心円)と呼ばれ、アメリカやイギリスなど、母語としての英語(English as a Native Language)を話す地域を含みます。次の円が “Outer Circle”(外心円)と呼ばれ、インドやシンガポールなど、第二言語としての英語(English as a Second Language)を指す地域を含みます。第二言語とは、母語ではないけれども学校で使われる言語など、生まれ育った環境の中で見聞きする二番目に重要な言語です。そして一番外側が “Expanding Circle”(拡大円)と呼ばれ、日本など、外国語としての英語(English as a Foreign Language)を話す地域を指します。要するに、それぞれの地域で話される英語はそれぞれに特徴があり、どれも尊重されるべきで、大きな区分としては、母語か第二言語か外国語かで異なるという話です。 

 拡大円に位置する日本は、中心のネイティブの英語からは離れており、ネイティブに近づくのは大変なことです。日本だけではなく、多くの国がこの拡大円に位置しています。そこで生まれたのが、「世界共通語としての英語(English as a Lingua Franca)」という考え方です。ネイティブの話す英語を唯一絶対の規範にするのではなく、通じる・伝わる英語をみんなで勉強しようということです。 

 前置きが長くなりましたが、この世界共通語としての英語を目標だと思えば、少しは英語学習のハードルも下がって楽しく取り組めるのではないでしょうか。 

 

続く。次回のテーマは、「大学で英語を専攻するということ」です。 外大英語科の内実が垣間見られるかもしれません。