20歳大学生が考える「言語とは何か」【第4回 思考言語】

 

第4回

思考言語

東京外国語大学 言語文化学部
小原

 

日本語教室

 大学に入り、何かボランティア活動がしたいと思い、私は「くりふ」という日本語支援サークルに入りました。府中市・調布市で、海外にルーツのある子どもたちを対象に、日本語を教えたり勉強のサポートをしたりするサークルです。JSL児童生徒(Japanese as a Second Language, 第二言語として日本語を学ぶ児童生徒)と一口に言いますが、その実情は一人一人異なります。たくさんの子どもたちと関わる中で、大体3つのパターンがあることに気がつきました。1つ目は、彼らは保護者の方の都合などで突然来日した背景を持つことが多く、未知の言語環境の中で相当な困難を経験しているという場合です。2つ目は、来日からの期間が長く、日本語が母語の同じ年齢の子どもと同じように会話が出来るように見える子も、言語面でかなり不安を抱えているという場合です。3つ目は、これは私自身想像もしたことがなかったのですが、渡航のタイミングがあまり良くなかったなどの理由で、自分にとって最も心地の良い言語が存在しないという場合です。

児童学習支援サークル「くりふ」での活動中の一コマ

思考言語

 私は、日本で生まれ育ち、日本語を話す両親に育てられたので、母語は日本語です。小学校から英語の授業が始まり、週に数時間英語に触れるというところから外国語として英語を勉強し始めました。したがって、今でも英語ないし新たな言語の学習をするときは、内容や意味を日本語に置き換えて考えます。もちろん、英語の文化圏にあって日本語の文化圏にない言葉や概念は、英語で説明を見た方が的を射て分かりやすいということもあるし、英語で会話するときに毎回日本語を経由することはありません。それでも、考え事をするときに使う今のところ全て日本語であるし、私の中で語彙数が日本語を上回る言語ができることは今後もきっとないと思います。これが、「思考言語が日本語」の状態でしょう。
 しかし、JSLの子どもたちの中には1つの絶対的な思考言語がない子もいます。そんな子どもたちは、自分がよく分からないことは、すぐに自分で表現しようとすることを諦めてしまう傾向にあります。語彙がなくては、感じることはできても深い思考に至ることはできないのだと知りました。学年が上がるにつれて教科の学習の内容が高度になり、概念的なものになっていくと、母語でも知らないことを日本語で勉強しなくてはならなくなります。生活語彙獲得から学習語彙獲得への移行などと言いますが、これがひとつ難しい段階で、学ぶ側も教える側も苦戦しています。

私たちにできること

 なぜ私が日本語教育に継続的に携わっているか。それは、子どもたちの「居場所」を守りたいと感じるからです。ただでさえ頼れる大人が少なく、言語に不安を抱える中、日々生活している子どもたちです。厳しく日本語を教え込むというよりは、比較的年齢も近い大学生として、気軽な話し相手になれたら良いなと思っています。もっとも、いつも色々な話を聞かせてくれて楽しいので、むしろ私が居場所を作ってもらっています。
 彼らの大半は、中国や韓国をはじめとしたアジア地域から来ており、母語が英語ではありません。そういう意味で、英語専攻の私は外大生としてややもどかしいのですが、周りのボランティアの方々も別に子どもたちの母語に合わせて専門の方がついているわけではありません。では日本に来たばかりの子どもたちとどう接するかというと、「やさしい日本語」を使います。東日本大震災の時に外国人に避難を呼びかける際に使われたことで、ご存じの方もいると思いますが、要するに、より平易な言葉を選んで、相手の理解を確認しながらゆっくり話すことです。今後、様々な形で日本語が100%思うようには使えない人と関わる機会は増えていくはずです。翻訳アプリに頼ったり、身振り手振りを用いて会話したりすることもひとつの手ですが、是非、「やさしい日本語」という考え方を頭の片隅に留めておいていただけると嬉しいです。

 

次回が最終回になります。 やっと、本題を語り尽くします。