不登校から東京外国語大学合格まで 〜生きづらさを抱えたあなたへ〜『第4章』

第4章
引きこもり~東京外国語大学オープンアカデミーとの出会い

 そんな中母は、私に東京外国語大学オープンアカデミーのポーランド語講座への参加を提案してくれた。どんなに学校の勉強が嫌になっても、英語を始め、父の母語であるポーランド語、それ以外にもロシア語、フランス語、ドイツ語、ラテン語、ヒンディー語、朝鮮語などあらゆる言語の文法書を読み漁ることはやめられなかった言語オタクの私を見て、好きなことに打ち込んでいれば気力を取り戻すのではないかと提案してくれたのだった。私としてはポーランド語を学ぶこと自体は楽しいことだったが、講座を受けるにあたって見知らぬ人に会うこと、引きこもりの私が急に東京に出て半年単位で講座を受けるために東京で長期滞在をしなければならないことは大いなる負担であり、正直気乗りしなかった。しかし、何をすれば良いかも分からずに無為に日々を過ごす自分に嫌気がさしていたので、多少辛いことがあっても飲み込んで、何かしら行動を起こさなければ何も変わらないと思い、4月からのオープンアカデミーに参加することに決めた。

 東京へと出発するその日、怖くてまた号泣してしまった。空港まで連れていってもらったが、怖くて先に進めない私に、母は「どうしても嫌ならここで引き返してもいい」と言った。これは発破をかける言葉ではない。逃げるという選択肢は今まで自分の心身を守るために何度も取ってきた。本当に逃げてもよかった。だけど私は東京への飛行機に乗った。

 私は当時、姉が同居人と暮らしていた下北沢の家に住まわせてもらった。そこから週1回、文京区にあるオープンアカデミーに通うことになった。講座は週1回なので残りの6日は暇だったのだが、初めは特に何もできずずっと家にいることが多かった。もちろん自分のことは自分で面倒を見ないといけないので、自分の着るものは自分で洗濯したり、食料を買いに外に出たり、料理をしたりしなければならなかった。初め外出は近くのコンビニに行くのでさえ怖かった。

 東京外国語大学の生協に教科書を買いに行くとき、そしてオープンアカデミーの講座を初めて受けに行くときは、尚更怖かったので姉についてきてもらった。高校の教室に入る時のように足がすくんでしまったが、勇気を持って行くと思ったほど怖くないことを実感した。

 ポーランド語講座を受けた人の中で授業前にビラを配った方がいた。その方は女優のAさんという方で、ポーランド人が書いた脚本の舞台を開くということでそれを宣伝していたのだった。講座を受ける以外にすることを見つけられなかったので、この舞台を見てみたいと直接Aさんに声をかけてみた。すると、ちょうど人手不足なので手伝って欲しいと言われた。私は面食らったが、どうせやることがないし、なんでも経験した方が良いと思い、手伝いに参加することにした。手伝いの対価としてお金は出せない代わりに演劇のワークショップを私のためだけに開いてくれた。それ以外にも手伝いをしながら舞台の稽古および本番を何回も無料で見ることもでき、他にも様々な経験ができた。少し俳優の道を目指すのも悪くないかもしれないと思ったこともあった。