不登校から東京外国語大学合格まで 〜生きづらさを抱えたあなたへ〜『第7章』

不登校から東京外国語大学合格まで

〜生きづらさを抱えたあなたへ〜

谷山 薫
(たにやまかおる)

これはHSP(Highly Sensitive Person)と呼ばれる、周りの環境にとても敏感な谷山薫さんが、二度の留年を経て九州のとある県立高校から東京外国語大学・言語文化学部チェコ語学科に合格したライフストーリーです。

第7章
大学受験失敗と再挑戦

 今思えば、東京外国語大学のようなレベルの高い大学に通用するはずがない、不器用な我流の勉強方法でセンター試験を受けた結果、ひどい成績だった。一応東京外国語大学を志望していたものの、合格は絶望的だった。合唱部の元顧問の先生と相談して、レベルを下げた大学に出願することも考えたが、受からなくても良いからとにかく自分が東京外国語大学を受けた経験があった方が良いと考え、無謀ながらも東京外国語大学に出願した。

 飛行機で東京に出発する日、やはり怖くてなかなか足を動かせなかった。オープンアカデミーのポーランド語講座を受けに行く前のあの日のように。母同伴でなんとか東京に行き、ホテルまで行くことはできた。しかし、二次試験受験当日、私は怖くてどうしてもホテルから出ることができなかった。めちゃくちゃな勉強法ではとてもじゃないが自信はなく、試験問題が難しかったことに打ちのめされて心がボロボロになるかもしれないという気持ちが強く、「失敗してもそれが経験になる」という考え方も受け入れられなかった。結局、試験は受けに行けなかった。

 落ち着いた頃に改めて今後の方針について考えた。一応まだ大学受験以外の選択肢を考えることもできた。試験を受けるのがあまりにも怖いのなら、大学受験を諦める手もあった。しかし、不器用でめちゃくちゃな我流の勉強法に自信が無かったの
が受験を怖がっていた原因であるのなら、自分は決して勉強が嫌いなわけではないのだし、きちんと勉強の仕方を教わりさえすれば学力が上がる可能性はあると思い、家計を逼迫しかねないことを重々承知で、母に予備校に通わせてもらうようにお願いした。