不登校から東京外国語大学合格まで 〜生きづらさを抱えたあなたへ〜『最終章』

不登校から東京外国語大学合格まで

〜生きづらさを抱えたあなたへ〜

谷山 薫
(たにやまかおる)

これはHSP(Highly Sensitive Person)と呼ばれる、周りの環境にとても敏感な谷山薫さんが、二度の留年を経て九州のとある県立高校から東京外国語大学・言語文化学部チェコ語学科に合格したライフストーリーです。

最終章
二度目の挑戦~合格へ

 今回は、2017年の後半に予備校に通うことに対してそこまで積極的になれなかったことを反省して、新年度が始まる前に自分で県内の各予備校をリサーチして、体験授業も受けに行き、後悔のない選択ができるように徹底した。熟考した結果、結局2017年のときと同じ予備校になったが、自分で熟考したので責任が持てて、その予備校の教え方などの特徴も心得ているので、以前のように2ヶ月ほどで通えなくなることはなかった。それに、前年までの体験は確実に私自身を強くしてくれていたことだろう。ときどき体調が悪くなったり、精神的に辛くなったりして予備校に行けなくなることもあったが、すぐに復活することができた。この予備校を選択した理由の一つに、先生方が私のような心の調子が良くない人に対して理解を示し、アットホームな雰囲気で歓迎してくれたこともあった。そのおかげもあってなんとか通い続けることができた。

 やはり思惑通り、先生の指導を受けることで学力は上がっていった。センター試験の成績も教科によってはそこまで満足できない結果になってしまったが、一年前に比べると全体の点数は確実に上がっており、東京外国語大学に出願してもそこまで無謀ではない程度になった。

 最終的に二次試験は、過去問を英語の1年分も解き切っていないという無謀な試験対策にもかかわらず、合格した。さすがに先生の指導で、世界史と英語の様々な大学の二次試験の問題は解いてきたが、私にとって過去問と向き合うのも大いに神経をすり減らすことだった。心が折れるくらいならいっそ過去問を解こうとしないのも手だと思った。こんなことは絶対に受験生に勧めたくないし、他の合格者にも恥ずかしくて話したくない。

 言語文化学部ポーランド語学科を志望したが、成績順にポーランド語とチェコ語の希望が優先され、私はチェコ語科になった。最初は合格しても、チェコとは縁もゆかりもないので、複雑な気分だったが、母や元顧問の先生から、必ず今から比べると状況は良くなるから、と言われ、前向きに受け入れることにした。実際にチェコ語を学び始めて、同じスラヴ語派のチェコ語とポーランド語を比較すると似ている部分が多いものの意外なところで全く違ったりするところが、言語オタクとしては非常に興味深くて、とても楽しめている。

 紆余曲折あり大変だったが、東京外国語大学に入学できて本当に良かった。

(最後に、同じような悩みを抱えている方へメッセージをお願いします)

 今まで人生は綱渡りのようなものだと思っていて、小中高、そして進学するなら大学、というルートから踏み外したらそれで終わりかと思っていました。ですが、人生というのはそこまで残酷なものではありません。社会では年齢差のある人たちと付き合うことは普通ですし、長い目で見れば、2回の留年と退学なんて大したことではありません。現在進行形で悩んでいる人の苦しさは嫌というほど分かりますが、しかし、本当に人生はどうにかなるものです。
心療内科の先生が助けてくれたり、通信制教育や高認といったシステムもあったりと、社会は私のような人に差し伸べる手をいくつも持っています。そして、あなたのことを助けてくれる人がきっと周りにもいるはずです。辛いときは周りの人に辛いと言ってください。
人生は綱渡りのようなものではなく、蜘蛛の巣のように幾方向にも広がっているものです。私はたまたま大学に進学しましたが、専門学校に行く手もあるし、なんなら芸能人を目指すとか、職人になるために弟子入りするなんてこともあるかもしれません。
辛いときは自分を大切にしてゆっくり休んでください。そして自分の素直な心の声に従えば、いつか自ずから道が開けると思います。どんなに長い冬でもその後には春が来るものです。

2019年3月23日 土曜日 18:22
予備校に通い始める前に撮った写真です。春になるとこのように桜が綺麗に咲いて地元の人が沢山訪れます。桜が綺麗に咲きほこるのを見ながら、予備校に通って自分の未来を切り開く決意をしました。